2008年9月30日

先生といっしょに文献を討論した

今日の午後は やっとあの文献を訳し終わりました。文献には たくさんのプロ術語がありました。電子辞典を利用しても調べられない術語もいました。例えば、バンパーリーンフォースとバンパーリーンフォースなどの外来語がいろいろありました。読み方と書き方いずれも分からない術語もいました。
王先生は 日本語が分からないが、文献の知識がよく身に付けました。だから、コピーしてから、王先生の事務室に行って、先生といっしょに討論しました。しかし、分からない部分もいました。最後には 王先生は 私に100元をくれて、専門についての日中辞典を買わせました。

2008年9月29日

始めて日本語の文献を訳した

今日は 王先生からの電話を受けてきました。 私が彼の事務室に行って、訳することを話します、王先生とおっしゃいました。王先生は 私に訳させた文章のテーマは 自動車高強度冷延鋼板の現状と展望です。あの文章は「塑性と加工」という日本塑性加工学会誌からです。
始めて日本語の文献を訳したので、私に対して難しいでした。でも、電子辞典を利用してだんだん上達になりました。あの文献は 先生が研究した内容と大きな関係がありました。それに、文献中の知識は 本で少し勉強しました。例えば、マルテンサイトとかベイナイトとかオーステナイトとかひずみなどがありました。
頑張るなら、明日の午後は終わりべきだた思います。頑張ります。

2008年9月27日

友達は金属研究所に入りました

今晩は寮の同室の友達王さんは 瀋陽から帰ってきました。彼は 昨日瀋陽に行って、国家金属研究所の面接試験を受けました。王さんは 寮に帰って、とても気落ちしました。彼は面接が順調に合格しましたが、体格検査に合格しなかっただと言っていました。体格検査中で彼は肺結核という病気があったのを発見されたようです。
だから、彼は試験の結果を見ないで、直接ハルピンに帰りました。でも、彼は元気がないところ、電話を受けしました。電話をかけた人は 伝えたのは王さんを受け入れました。王さんはとても嬉しかったです。私も彼の成功に対して嬉しかったです。
王さんは 来年の9月に研究所に行って、研究生の課程を無料で受けできます。そして、毎月ずつ1000元を受け取ります。また、卒業した後で、研究所にいって、研究をし続くなら、教授になりやすいだと言われます。うらやましいな。

2008年9月26日

実習についての試験だ

今朝は 実習についての試験がありました。今度は口頭試問を採用しました。1つの学生は2つの問題を答えました。私の1つの問題は砂型鋳造の工芸過程でした。幸い、私はこの問題ができて、すぐに答えました。

2008年9月25日

神舟七号は空に昇っていきました

今日の晩9時10分には 神舟七号は空に昇っていきました。今度は神舟七号の中には3人のスペースパイロッイがいます。神舟七号の重要な任務は スペースパイロッイは船倉を出て、スペースウォークをすることです。それに、宇宙のことを観測し続きますし、宇宙でいろいろな科学試験をします。神舟七号は3日のあとで計画的で帰ると言われます。
神舟五号の空に昇ったことを思い出しました。あの時は私はまだ高校の2年生で、とても感動しました。5年を経って、中国は宇宙に開発のは 大幅な進歩を取得ました。いつか月に登られることを期待しています。

2008年9月24日

卒業論文のテーマを選びます

今日の午後、私は図書館に行く途中で指導者の王先生に出会いました。この王先生は 私の卒業論文を指導してくださってる教授です。 この王先生は 学生の卒業論文にとても厳しいだと言われます。王先生は 私にいろいろなことを聞きました。私が今日本語を勉強しているのを知った後で、王先生は 私にいくつの文章を訳していただきました。私の日本語はまだとても上手ではなけど、先生だから承諾しなければなりませんでした。
王先生は「来月の中旬は 卒業論文の計画書は書き始めます。このごろ、君が興味なテーマを確認してから、私に相談しに来てください。」とおっしゃいました。
自分が興味なテーマと言えば、私は以前全然考えなかったです。実は私の専門についていろいろなテーマを選ぶことができます。例えば、金属成型についてのコンピュータ数値アナログ(CAE)、金属フォーミングについてのコントロール、金属についての金型(die)設計などがあります。その一方で、私が選たテーマは 王先生の研究分野とつながりがあります。それに、あのテーマは易く完成して、卒業論文を書きやすいということです。どちらがいいな。もう少し考えるべきです。

2008年9月23日

引っ越しなければなりません

先月は新しい寮はもう建ってしまいました。最近は 学校の要求によるといろいろな学生は引っ越しています。とても立派でした。今週の週末は 私たちも引っ越すことになります。今の寮には8人がいます。新しい寮には4人がいます。でも、私たち4年生は最後の1年だけを立って、今の8人は 離れらなければなりません。だから、今の引っ越しをとてもしたくないです。でも、学校の政策だから、しょうがないです。

2008年9月22日

研究生を止めるつもりです

今朝は 大雨がありました。だから、私は 日本語を朗読しに行きませんでした。朝ごはんを食べてから、友達といっしょに教室へ自習をしに行きました。私は 12月の日本語試験の摸擬題を作りましたが、ちょっと難しかったと感じました。 幸いに、時間がまたありますから、試験の前にできるだけたくさんの練習をしようと思います。
午後、学部からのお知らせは 私にぶっくりしました。これは 今年は私の学部の推薦で研究生になれる人の数は 去年より3人多くになることでした。つまり、すべての人数は 18人になります。 この18人のうちは3人は留学しに行って、2人は やめて働きたいと言っています。 だから、私の22番 は推薦さらることができます。 そうして、私は ペキンのある国防研究所に入ることができます。でも、私は 以前からずっと日本に行きたいです。その一方で、国有企業に入りたくないですから、止めるつもりです。

2008年9月20日

ウォール街の金融危機

先週は アメリカのウォール街にっとては 非常に暗い一周でした。アメリカでの最大の5つの投資銀行の2つのは 1週間で消失してしまいました。1つは 158年の歴史があった雷曼兄弟会社です。
今回の金融危機は“金融の嵐”とか“経済の9・11”と言われます。ウォール街の金融危機は 1929年の経済危機みたいで、米国に大恐慌を与えました。ウォール街での何万人の従業員は ニューヨークと同じように、前例のない挑戦に直面しています。
新聞通り、以前はウォール街の資金は 世界資金の80%を占めました。2006年ウォール街での30万部員の一年の平均収入は 30万ダラーぐらいで、1つの普通なアメリカ人の収入の7倍でした。あそこで30歳のひゃくまんちょうじゃはいろいろいました。ウォール街でいろいろな摩根のような金融大家が誕生しました。それに、あそこでは たくさんの世界の500強企業もありました。
今のウォール街は 多くの批判を受けています。でも、ウォール街はやはり世界の金融センターですから、他のところは 今また代わることができません。世界経済危機を引かないことを望みます。

2008年9月19日

段さんを夕食に招きました

今日は 学校の運動会が開催されました。この運動会は 今年の5月に行うことになりましたが、四川での大きな地震があったので、行わなかったです。私たち4年生参加しなくてもいいですから、見に行きませんでした。
今晩は、私は1つの友達の段さんを夕食に招きました。彼は深圳研究院の研究生です。彼は以前私の大学の学生でした。彼は今度用事があったかれ、ハルピンに来てきました。段さんも日本語を勉強しています。実は私たちはインターネットで知りました。時々日本語でMSNを通じてチャットました。彼は深圳についてのことをいろいろと教えてくれました。

2008年9月18日

実習は終わった

今日の午前は 実習は終わりました。全部で12日間長春でいました。本の以外の知識をいろいろと勉強しました。そのうえに、そこでのラーメンが大好きですから、ちょっと学校に帰ったくないです。
午後の6時ごろ、私たちはハルピンに帰りました。でも、駅から学校までのバスはよく渋滞しました。 ようやく寮に帰って、自分のベッドに倒れて気分がよかったです。

2008年9月17日

鍛造工場と车轮工場に行きました

今日の午前は 私たちは「一汽巴特勒」という鍛造工場に行きました。この会社は中国とインドの合資会社です。まず、FAWのエンジニアは 鍛造についての知識を教えてくれました。例えば、鍛圧機の構造と性能など。鍛造は精密鍛造と普通鍛造を含めます。
そのあと、私たちは引率してもらって、鍛造の工場見学をしました。あの時はギヤと変速器などが製造さらていました。本当にいろいろな鍛圧機がります。その中には12500容積トン数の鍛圧機がありました。トラックのバンパーは これを利用して製造さらます。
午後は バスでFAWの车轮工場に行きました。この工場では いろいろな車輪を製造さらます。そのうちに、私たちは世界で一番進んでいる旋压機を見物しました。この機器は 原材料から車輪まで2分だけかけます。この機器は ドイツから3000万元かけて買いました。最後に、私たちは 完成品の試す過程を見ました。例えば、車輪の方向を変える性能と強さなど。

2008年9月16日

パンチの工場を見学しました

今日は 私たちはパンチの工場を見学しました。パンチとしては パンチプレスで金属を加工することです。「Process metal with a punching machine.」 パンチは 穴やしわるなどを含めって、精密加工の方法です。車のドアとかcoverとかは パンチで製造さらます。
パンチの工場は 鋳造の工場より環境はきれいですが、騒音は ひどく大きいです。でも、機械化の程度も高いです。いろいろなロボットがあります。私たちが見学したのは 「解放」というトラックの製造過程で、plateから組み合わせまでです。

2008年9月15日

推薦される研究生の定員は 決められた

今日は 推薦される研究生の定員は 決められました。75人の学生中に15人の学生は 研究生の入学試験に参加しなくでもいいで、研究生になることができます。それに、いろいろな奨学金も手に入れます。推薦の標準は 大学の前3年の平均成績*95%+徳育成績*5%です。
私の成績は 82.91で、75人目中に22番です。私は 大学の3年間に合格しない課程がありませんでした。でも、一度奨学金を得られませんでした。私は 普通な学生だけです。でも、幸い、大学の期間いろいろな知識を勉強ました。それは十分だと思います。
 

2008年9月14日

中秋節だ

長春で実習していますから、わたしが書いたブログは Tさんにいろいろな不便をかけて、本当にすみませんでした。
今日は 陰暦8月15日で、中国の伝統祝日の中秋節です。日本のお盆みたいです。故郷に帰って、家族や親戚に再会する人がたくさんいます。私の実家は 長春にとても遠いですから、帰らないです。残念でした。
両親に電話をかけるしかないです。そのうえ、この日になって、いろいろな月餅を食べできるという習慣があります。
今朝、私は クラスマートみんなといっしょに南湖(長春で有名な景勝地です)へボートをしに行きました。たくさんの船が 大きな湖にあって、非常に立派でした。
班長の出身は 長春の当地ですから。彼は クラスみんなを夕食に招きたがっています。だから、午後の5時ごろ、私たちは 「红河レストラン」という店に行きました。晩ご飯の後で、月餅を食べました。クラスといっしょに中秋節を祝って、面白かったです。

2008年9月10日

鋳型工場に行きました。

今朝は 大きな雨がありました。私たちは BUSで鋳型工場に行きました。前のように、エンジニアは 安全の注意事項を教えてくださいました。このエンジニアは とても優しい方でした。彼は 会社でもう36年働きました。今は全国の労働模範でした。彼は 簡単に鋳型設計の要領を紹介してくださいました。
彼の言ったによると、よい鋳型を設計するために、工芸の設計は一番大切でした。また、私たち大学生は 機械製図はよく勉強すべきでした。
その後、私たちは彼の指導して、鋳型の製造過程を見ました。鋳型は ほとんど自動工作機械を利用して生産してきました。
最後で、私たちは 車の重要な部品の展覧を参観しました。Such as Speed reducer shell, Engine shell, Crank and so on.
今日の見学は これだけでした。午後は自分で活動できました。寮では インターネットはだめでしたから、ネットカフェでブログをアップしてしまいました。

2008年9月9日

砂型鋳造の工芸を見学しました

今日は 私たちは砂型鋳造の工芸を見学することになります。9時ぐらい工場のエンジニアは 砂型鋳造を概して紹介してくださいました。砂型鋳造は 車の中に大きな部品の生産の方法です。例えば、エンジンと減速器の殻です。 
その後、私たちは 先生の指導して、砂型鋳造の工場を具体に見学しました。 工場では いろいろな自動の機器がありました。 でも、工場の環境は 本当に悪かったです。出てきました後、のどは ひどく痛いでした。 部員の食堂で昼ご飯を食べた後、私たちは トラックの組み立を見ました。午後の3時半ごろ、寮に帰りました。本当に疲れましたが、知識も増えてきました。うれしかったです。

2008年9月8日

特殊な鋳物工場を見学しました

今日は 実習の初めての日です。レストランへ食べに行きますから、学校でより 早く起きました。午前の八時、あるエンジニアは 長春一汽(FAW)を大体紹介しました。
例えば、FAWの歴史(1953に建てた、中国で一番始めて車を生産しました)、
生産した車の種類(Red Flag、audi 、mazda、TOYOTA、大众、 Jettaなど)、
生産の規模(去年は140万になった)、生産の基地(长春、天津、海南、成都など )。
次に、私たちは 先生が案内しられて、特殊な鋳物工場を見学しました。例えば、熔模鋳造 と压力鋳造。でも、労働者は とても苦労だと感じます。最後では エンジニアは ハンドルの を具体に紹介しました。本当に見聞を広めました。

2008年9月7日

長春一汽(FAW)に来ました

今日は ハルピンを立って、3時間かかって、ようやく長春一汽(FAW)に来ました。長春の緑化は ハルピンよりとてもよいです。でも、ハルピンのほうが賑やかです。
私たちが住んでいる所は 学校の寮に比べて同じぐらいです。 でも、食べるところは レストランに行かなければなりません。学校の食堂より ちょっと高いです。
晩御飯を食べた後で、私は 友達といっしょに周りを散歩しました。 付近では とてもよいサッカーグランドがあります。毎日実習した後で、サッカーをしできます。

2008年9月5日

今の子供は重い重荷を耐えている

今日は キャンパスでお婆さんが 4歳ごろの女の子に数学を丁寧に教えていることを見ました。でも、あの子は 遊びばかりで、ぜんぜん聞きませんでした。ちょっとおかしかっただと感じました。
現在社会の激しい競争せいで、子供たちは 小さいから ピアノ、絵画、ダンス、英語などいろいろなことを習っています。今の子供は 幼稚園から進学の競争に向けて、いろいろな重荷を耐えなければならないです。私は子供のころ 以上のことを習わなかったです。 あの時には 私は よく仲間といっしょにビー玉や縄跳びなどで遊びました。中学校のころ、小さい川で魚を捕らえたものを覚えます。とても面白かったです。
今の子供は 普段家で一人でおもちゃと遊びます。これらの子供は 大きくなると よく厭人癖をして、他の人のことを無視しがちです。社会は 著しく進歩していますが、子供の心は 健康ではなくて、かわいそうだと思います。

2008年9月4日

Pro/eをインストールしました

同級生の一人は 最近新しいパソコンを買ったばかりました。今晩は 彼はPro/eをインストールしたがったです。私は 以前Pro/eをインストールして勉強しましたから。彼のパソコンにインストールしてあげました。それに、いろいろなビデオ授業を与えました。ソフトとしては、ある人が教えれば、勉強しやすいですが。よく使えなければ、メニューを忘れやすいだと思います。
その後、自分のサーカー靴を洗いました。実習の場所の横では 運動場がありますから。暇を利用してクラスメートといっしょにサーカーをしできます。実習のことを楽しみにしています。

2008年9月3日

福田さんは辞任しました

日本の首相福田さんは 9月1日に辞任してしまいました。とても残念でした。
福田さんは 去年の9月就任したから今まで1年ぐらいだけでした。 私は 以前政治に興味がありません。でも、来年は私は 日本に行くことにするので、だんだん日本の政治には 関心していきます。福田さんの就任の1年中には 中国と日本の関係が大きく変わったと思います。それに、福田さんは 中国人で非常に人気があります。 中国と日本の関係は だんだんよくになると欲しいです。

2008年9月1日

卓球をしに行った

今晩は 私は クラスメートといっしょに卓球をしに行きました。卓球をしたのは 久しぶりでした。最初の3回数は 私は 負けたばかりました。だんだんよくなりました。 2時間ぐらいしまして、汗がだくさん出てきました。 ちょっと疲れましたが、気持ちがとてもよかったです。
卓球と言えば、中国人は ほとんど卓球ができます。それに、中国人は 世界中で卓球がとても上手みたいです。子供から卓球をし始めることは 大きな関係があるかもしれません。これは ちょっと日本人は野球が好きなようです。 日本では有名な卓球選手も います。例えば、福原愛と四元奈生美など。実は ほとんどの中国人は 野球のルールが分からないどころか、できます。 私も ルールが分からないですが、面白いだと感じます。中国政府は 野球を普及すべきだと思います。